【hollywood-babylon.com】MISFITSGORGEOUS FRANKENSTEIN,SON OF SAMを勝手に応援しています 

 

 

BIOGRAPHY>Misfits

 

 1977〜1983

 1977年3月、ニュージャージーのロディという街でMISFITSは結成された。

ラインナップはGlennDanzig(Vo,Kb)JerryCaifa(後にJerryOnlyと改名、Ba)Manny(Dr)の3ピース。

なんとギターレスである。そして同年4月18日にいきなりステージにたったという。

CBGB'sのオーディションデイに出演した彼らはCOUGH/COOL、SHE、BULLETをプレイしたらしい。

それから2ヵ月後にデビューシングル『COUGH/COOL、SHE』を彼らのレーベル『BLANK』よりリリースする。

尚このシングルは限定500枚のリリースであった。

その直後メンバーチェンジをし、ギターにFrancheComaを迎えGlennはキーボードをやめた。

その頃『BLANK』というレーベル名をめぐって問題が起きる。とあるレコード会社が『BLANK』という

同じレーベル名を使用するというのだ。MISFITSから訴えられることを恐れたその会社は

『BLANK』という名前を買い取ることを提案し、現金で支払う代わりにレコーディングスタジオを

30時間無料で使用できるという条件で決着した。その時録音されたのが『STATIC AGE』である。

ただ結局『STATIC AGE』はお蔵入り、リリースされたのは4曲入りのEP『BULLET』、78年のことだ。

そのときのレーベル名はGlennの好きな映画『Plan9 From The Outer Space』から取り『PLAN9』となった。

 『BULLET』リリース後、再びメンバーチェンジ、79年にEP『HorrorBusiness』をリリース。

ジャケットにはご存知クリムゾンゴーストを使用、Jerryが考案したデヴィロックヘアー、グレンが骸骨のシャツや

グローブを身につけMISFITSとしてのイメージが完成された。

そして10月31日にはシングル『NIGHT OF THE LIVINGDEAD』をリリースした。

その頃のMISFITSは精力的にライブ活動を行い、東海岸を中心にかなりの人気を集めるようになった。

この余勢をかって79年、ついにイギリス進出、ダムドとツアーを回るのだがギャラでもめて決裂。

そしてロンドンでJAMのライブを見に行ったGlennが乱闘騒ぎを起こし逮捕されてしまった。

その時のさんざんな経験を基に作られたのが『LondonDangeon』である。

イギリスから戻り80年、ギターにJerryの実弟Doyleを迎え、Glenn、Jerry、Doyleという

黄金のラインナップが誕生する。ドイルは当時なんと16才であった。

そして81年4月、EP『3Hits From Hell』をリリース。実質的なDoyleのデビューである。

さらに81年10月31日にはシングル『Halloween』をリリースした。

82年、大手インディレーベル『SLASH』と契約、フルアルバム『Walk Among Us』をリリース。

3万5千枚以上のセールスがあったがもらったギャラはたった500枚分と、またしてももめた。

しかし、MISFITSの人気はなかなかのものでファンクラブである『FiendClib』のメンバーも急増。

そこでメンバー向けに(後に一般販売)EP『Evilive』をリリース、その中には

BLAKFLAGのヘンリーロリンズがゲストでボーカルをとる『WeAre138』が収録されている。

83年、またしてもメンバーチェンジ。ドラムがGoogyからRoboへチェンジする。

Robo加入後、巨大なコンクリートガレージでレコーディングされたのが

『Earth A.D/WlofsBlood』である。

そして間もなく、RoboがGlennに嫌気がさし(妻ともめてという説もある)脱退、メンバー間の雰囲気も最悪になり

10月31日、ハロウィンの晩にMISFITSは解散となった。

しかし解散後もEP『DieDieMyDarling』を84年にリリース。86年には『LegacyOfBrutality』、

88年にはベストアルバム『MISFITS』がリリースされる。

 

 

1983〜

解散後、GlennはErieVonらとSAMHAINを結成し活動しはじめる。

が、JerryやDoyleの知らないうちにMISFITSの権利を独り占めしてしまったのだ。

CDは売れても金が入ってこないもどかしさ・・・

MISFITSという名前を使えなくなってしまったJerryとDoyleはKryst The Conquerorを結成しひっそりと活動をする。

そしてついにJerry達はGlennを相手に裁判を起こす。

その時にJerryがやとった弁護士がなんと悪徳だったらしくだまされてしまったらしい(涙)

とことんついてないJerryだったが、1994年に条件付でMISFITSの名前を取り返したのだった。

その後Jerryは新しいボーカルとドラムを探した。

ヴァンパイアのイメージがあるDAMNEDのデイヴバニアンの声をかける・・・

当然のようにシカトされる。

(実はドラムはすでにチャドが内定していたが、デイヴバニアンとしっくりこなければ切るつもりだった)

なかなか決まらないのでオーディションをしてみる。新聞や雑誌に広告をだした。

「求む!シンガー!」みたいな感じで・・・

多数の応募があったが、どれもGlennのものまねばかりでパッとしなかったらしい。

そんな時、知り合いから「いい声してる奴がいる」とMichaleを紹介される。

JerryはMichaleにオーディションを受けてみないかと声をかける。(MichaleはMISFITSの曲を知らなかった)

Glennを知らなかった事が逆に良い結果となったが、Jerryは多数のオーディエンスの前で

Michaleがパフォーマンスできるかが心配であった。

1995年10月、Type O Negativeのライブのサプライズゲストとして新MISFITSの初ライブが行われた。

数曲のプレイであったが、JerryはMichaleを試した。

完璧だった。

そしてMISFITSは完全復活をした。

1997年5月に再結成後初のアルバム【American Psycho】をリリース。1997年11月に来日をした。

(途中Michaleは3ヶ月ほど脱退する)

1999年10月には【Famous Monsters】をリリース。日本では11月に限定ジャケットで発売された。(10000枚)

勢力的にLIVEを行い、各メディアでも注目され、順調と思いきや、またしてもメンバー間のごたごたが・・・

2000年10月、MichaleとChudが脱退してしまう。

その後ゲストボーカル、助っ人ドラマーでなんとかツアーを乗り切るが・・・

2001年5月のLIVEを最後にDoyleまでもがバンドを去ってしまった。

その後のMISFITSはギターに元BLACKFLAGのDEZ、ドラムにROBOを迎え現在に至る。

と言うか、至ってしまう・・・

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

BBS7.COM

MENU

RND

NEXT

 

 

 

Google Sitemaps用XML自動生成ツール 

検索サイトowl7 

 

copyright © 2007-2008 hollywood-babylon.com all rights reserved